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童話「かごめかごめ」は徳川埋蔵金の在処を表す唄だった!

前回の記事、「松尾芭蕉の招待は服部半蔵だった!」
との関連ネタで
今回は「童話かごめかごめは徳川埋蔵金の在処を表す唄だった!」
を書きたいと思います☆

なぜ関連性があるかと言うと松尾芭蕉が全国を回って伝えたと言われている

童話かごめかごめ

この唄はじつは徳川埋蔵金の在処を表している唄なのです!!


その前にまず、童謡「かごめかごめ」の歌詞のご紹介。


「かごめかごめ 籠(かご)の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に 鶴と亀が滑った 後ろの正面だあれ?」
これが、徳川埋蔵金の謎を解く暗号になっているという話が、以前からあったそうです。



まず、かごめとは籠の目の事を指します。

中にはこのような編み目があり、
これをかごめかごめのマークと言います。
この目のひとつひとつが、よく見ると六芒星の形をしています。



向吉sパンかご



かごのなかの鳥居とは、徳川が関東で建てた神社や仏閣を線で結ぶと、この六芒星の形になるそうです



六芒星




その六芒星の中心にあるのは、「日光東照宮」。



「鶴と亀が滑った」。

日光東照宮の中には、鶴と亀の像があります。



鶴と亀




「夜明けの晩に」。

これは、朝陽の光が当たって出来た影のことをあらわすそうです。
つまり、「鶴と亀の像に、朝陽の光が当たって出来た影」。


ちなみに「滑った」とは、埋蔵金を統一(統べる?)ことを指すそうです。



影の伸びた先にあるのは、「見ざる言わざる聞かざる」の木彫りの彫刻。



見ざる聞かざる



その三匹が見ている先にあるのは、眠り猫の像。



招き猫



そのさらに先にある階段を上ると、徳川家康の墓がある。



家康の墓




「後ろの正面だあれ?」。
その墓の後ろを見てみるとこの様なマークが刻まれています。



上の部分が無い=下にある
徳川埋蔵金は家康の墓の下にあるのです。
この祠には、上部分の三角が欠けた六芒星の印が刻まれていて、それはまるで下を指しているように見える。
つまりは、その祠の下。

そこが、「徳川埋蔵金」の在り処だということらしいです。

そこは地質学上の調査でも、99.9%の確率で土や石以外の物が埋まっているとされるそうです。

そこまで分かっていながら、何故放置されているかといえば。

表の理由は「日光東照宮」が世界遺産だから、だそうです。
可能性が確実じゃないのに、世界遺産の土地に手を加えるわけにはいかないから。

そして裏の理由は、「歴史が変わる可能性があるものも、一緒に出てくる可能性があるから」だとか。
仮に家計図などが出てきて、そこに歴史を書き換えなければならないようなモノが記されていたら、それは日本だけでなく世界中で事実を書き換える事態になる。
知らなくていい歴史は、掘り返さなくていい… ということらしいです。
実は日光東照宮の鶴と亀の石像の付近の地下には謎の空洞がある事が専門家の調査によってわかっている、人工的な空洞がある確率は99.9%だそうだ。しかし、国宝である日光東照宮の地下を掘り返す事は国が許さないため、空洞の調査はできない。

極めつけは、日光東照宮には「唐子遊び」=かごめかごめをする子供の彫刻が存在しているそうだ。そして、日光東照宮に伝わる禁忌に「夜の勤行、いかなる事があれど乱すことなかれ。すべてのこと、見ザル聞カザル言ワザルこと」という物がある。これは何かを隠している事に他ならないだろうか。
あくまで都市伝説であるが日光東照宮には何かの謎が眠っていそうである。



信じるか信じないかは




あなた次第です!!!!
(ちなみに私は100000%信じてます!!!)

ちなみにこの記事を書きだしてから頭の中でかごめかごめが流れて止まりません💦


次回はせっかくなので、ほかの意味で伝わっているかごめかごめを紹介します☆
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松尾芭蕉の正体は服部半蔵だった説!!

「奥の細道」を書いた歴史上の人物、松尾芭蕉にはある都市伝説があります。

松尾芭蕉と言えば、全国を行脚して数多くのうたを残した事で有名だが松尾芭蕉には不可解な点がある。
それはなぜ、この時代の関所は自由に行き来出来ないのに江戸時代で全国行脚ができたのか?
徳川幕府の江戸時代には個人が全国を旅するなど関所が有る限りほぼ不可能だった。

しかしその謎を解くカギは徳川幕府にあった!

徳川家康は日本に初めて特殊部隊を創設した人と言われている。そうあの有名な忍者です。

忍者は諜報活動や暗殺、スパイ等で日本歴史の闇の部分でさまざまな活躍をしました。

忍者の中でも特に家康が認めたのが特殊部隊、筆頭頭の服部半蔵です。

家康は天下統一を成し遂げた後に徳川家康は服部半蔵に言いました。

「お前が望むものをやろう、何が良いか?」と。

半蔵は答えました。

「自由が欲しいです。」

こうして服部半蔵は自由に全国を旅する権利を得たのです。

徳川家康によって与えられた権利であれば、全国を旅する事も可能となります。

そして、半蔵が語ったその後の名前が松尾芭蕉でした。

松尾芭蕉は当時46歳で、江戸時代でその年齢といえば高齢者に入ります。しかし、松尾芭蕉は一日に数十キロも移動していました。

老人が一日に何十キロも移動するなど特別な訓練を受けていないと可能な話ではないだろうか?

松尾芭蕉の出身地を調べると、「伊賀上野」だそうです。忍の地伊賀上野と松尾芭蕉と服部半蔵、この3つは繋がっているのです。

そして、服部半蔵が全国を行脚して残したうたが「かごめかごめ」だといいます。

服部半蔵はスパイ時代の情報を全国の貧しい子供たちに伝えて行ったのです。


信じるか信じないかはあなた次第です!!

前から1回言ってみたかったー笑☆☆

次回はかごめかごめの歌に隠された徳川埋蔵金の隠し場所について書きます☆
プロフィール

都市伝説K

Author:都市伝説K
「そうだったのか!!」と思わず言ってしまうような都市伝説や怖い話を紹介していきます。
記事を読んで頂いたら周りの人達に明日から早速自慢して下さい☆笑

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